2007年12月29日
ワルツ・フォー・デビイ
金曜の夜11時。今にも雪に変わりそうな雨が降っている。
車のスピーカーから流れてくるのは「ワルツ・フォー・デビイ」。ビル・エバンスのピアノが心を和らげる。このアルバムはビレッジ・バンガードでのライブ録音なので、ときおり客の会話やグラスの触れ合う音が聞こえてくる。いつもは耳障りに感じていたその音が、今は心地よく感じる。
次の信号を右折し、300メートルほど行けば、そこが彼女のマンションだ。出張に行くと聞いて、そこならアレを買ってきてと言われ、買ってきたお土産が無造作に助手席に乗っかっている。同じ包装のものがふたつ。
マンションの前で車を停め、お土産をひとつだけ持ち、雨の中を走った。エントランスのインターホンで彼女の部屋番号を押し、応答を待つ。
「はい」
無機質な抑揚のない声で彼女がでた。
「俺だけど・・・」
日曜の夜のような気分で答える。
「おかえり」
彼女の声は変わりない。
そこで待ってて、という彼女に従い待つ。
彼女はパジャマにGジャンを羽織って出てきた。
「おみやげ」
「今日友達が来ているの」
俺は感づいている。彼女は感づかれているのを承知している。
「オトコノトモダチ?」と聞いて全てを終わりにしたいのに、その言葉を呑み込む。
やはり付き合った10年という年月は重過ぎる。
つい先月までは、彼女が三十路になる来年には結婚しようと、話していたのに。
「じゃ、また」
「うん」
二人でまるで符号のような言葉を交わす。
お互いに、これが最後かもと思いながら。
車に乗り待ち合わせの場所へ向かう。
会社の同僚の女の子に、もうひとつの包みを渡すために。
10歳も年下の子だ。恋愛感情はないといったらウソになるが、それほど期待もしていない。
その子にとっては、ただ、待ち合わせ場所のジャズ・バーに一度いってみたかったというだけなのだろう。
駐車場に車を停め、雪の結晶が混じりだした雨の中を、また走る。
バーの扉を開ける。
暖房が効いた店内に入ると、その子が振り返る。
お土産を渡し、カウンターの隣の席に座る。
「これ、おいしいんですよね」
室温に比例した笑顔でその子が微笑む。
ラガヴリンのストレートを喉に流し込んだ時、「ワルツ・フォー・デビイ」の最初の曲マイ・フーリッシュ・ハートが流れ出した。酒と音楽が同時に心に染みていく。
その子は、ジリ・リッキーを飲みながら、出張の成果を聞いてよこす。ぼちぼち、と言葉を濁す。
次の曲、アルバム・タイトル曲でもある、ワルツ・フォー・デビイが流れ出す。今日はこれで、二度目だ。
悲しげな、それでいて力強いメロディーを頭の中で追いかけてみる。昂ぶった心がクールダウンしていく。
何もかもが、うまくいきそうな、一日の終わりに思えた。
何もかもが、うまくいかなくても諦められそうな、夜の始まりに思えた。
とりあえず今すべきことは、目の前に置かれた、ラガヴリンを飲み干すことだけだ。
その後、その女の子とわずか3ケ月後に結婚し、今は二人の子供がいる。二人とも女の子だ。
この子たちと出会えたことを、ワルツ・フォー・デビイという曲に感謝しよう。
Posted by imagine at 01:20│Comments(0)
│テキスト